ゲームのセーブについて
40代男性で子供のころにゲームをやった人にはセーブに関しての共通項があると思う。それに関しては説明を省く。
今回伝えたいのは私の息子中3の話だ。
彼はセーブをほぼしない。クリアするまでセーブ回数が0に近い。3DSなどは別のゲームをしたくならない限り同じソフトを起動しっぱなしでも遊べるからだ。
私は全くその行為を気にも留めなかったがある日衝撃が走った。
私の好きな三国志や信長の野望を買い与えた時のこと、彼はクリアまでの間に一度もセーブをすることなくクリアに至るのだ。登用失敗や災害に至るまで全てを受け入れ、クリアしてしまうのだ。
シミュレーションゲームの基礎知識がない彼は、計略と戦争を繰り返し見事に全国制覇を成し遂げる。しかも一番驚いたのは民忠誠度の低さだ。民への施しはしないという。民の忠誠度はほぼ0になり、物資が困窮する前に隣国を落として行くのだ。まさに戦国時代。
我々がやっていた三国志・信長の野望とは全く違った攻略法で、しかもセーブなしで駆け抜ける今の若者は本物のゲーマーなのかもしれない。
私が貧困層と接して考えたこと。(親族や知人)
貧困層は自ら貧困層になることを選択していることに気付いてほしい。親世代が貧困から脱出できなかったのであれば、子世代にどうにか脱出してもらうべく方法を周りの人に聞くなり見て考えるなりして、それを子世代に伝えるべき。それができないから貧困がループしているのだ。
私の妻の母は貧乏だ。妻の祖母は生活保護を受けて義母を育てたらしい。そしてその時に義母は貧困からの脱出方法を教えてもらえなかった。そして、義母は貧乏になり、同様に妻も同じ人生を送って貧困だった。しかし、私と出会って生活は一変した。
時は流れて私が子供を塾に通わせたりすることを猛烈に反対した。理由を聞いたら「将来大人になって仕事しても満足な暮らしもできない人生が待っているのに子供のうちからつらい思いをする必要はない。せめて子供のうちは何も考えずに遊んで幸せに暮らして、つらい大人時代を待ち受けるべきだ。」と真顔で言ってきたので、「お前ら正気か?」と私は思わず言った。
別の貧困層と話をしたが、誰も脱出方法を知らなかったし、知ろうとしなかった。「お金がないのは国が悪い」「お金がないのは財産を持っていなかった親が悪い」「大学行ったからってバカな奴はいるから大学にはいく必要はないし、そもそも自分はバカだから勉強出来ない。当然子供も勉強できない。」彼らは口々に他人の文句を良い、自分の責任とは考えず、どうにか自分はやれるのだと信じていない。
私は貧困ではなく、親は財産を持っているが私にくれるかはわからない。しかし、私は貧困ではない。何度人生をリセットさせても私が日本で貧困になることはないだろう。このイージーモードの人生ゲームで貧困になることは自分からなろうとしない限り絶対にありえない。いかにイージーモードと言えども子供の時にその仕組みを理解することは難しいだろう。しかし、それをせめて親が教えてあげれば簡単にクリアできる。私はそれを親に教わり成し遂げてきた。
これを読んでいる貧困層は次の世代に伝えて欲しい。貧困は脱出できると。
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「藤井六段 七段へ王手」というけれど、『王手』じゃなくて『詰めろ』じゃね?と毎回思うのは私だけだろうか。
沖縄旅行に行ったら。
沖縄に行ったら、試してほしい。現地のやさしそうなおじさんに、困っている迷子っぽく、「タクシーに乗って、ここに行こうと思っているんですけど」と言って、地図の漫湖国立公園を指さして、見せる。そうすると、「あー、あそこのマンコ!すぐすぐ、すぐそこよぉ!ちょっと待ってなさい。」といって、タクシーを止めてくれて、行先までタクシーの運転手に伝えてくれる。
「この人たちね、マンコ行きたいんだってさ。そうそうそうマンコ、マンコ、マンコ行ってあげて。」
どっちのマンコに着くのか目をつぶって待つのが本当に楽しみ。
先っぽだけいれていい?
先日、友人から「先っぽだけいれていい?」という、少しずつ少しずつ外堀を埋めた後にようやく裸になり、いざやるか?やれるのか?俺は今日やれるのか?というときにここまで来て断られるのが怖いから、女性にとっても「先っぽだけなら」と思ってもらえるんじゃないかということで、多くの男たちがたどり着く一般解に対して、理数系の私に別解がないかと尋ねてきた。
そこで私は、
宇宙の広さってものすごくて、俺らの存在なんて、ものすっっごくどうでもいいちっぽけな存在なんだよ。俺らが笑おうが泣こうが、死のうが宇宙から見たら本当にどうでもいいことなんだよ!そんなこと考えると俺たちの存在意義が感じられなくて悲しくなるけど、入れていい?
という別解を示した。
非常に難しい問題ではあったが、特に理数系の女性には「そうか!私みたいなちっぽけな存在がたった数分間、広大な宇宙に比べたら取るに足らないちっぽけな棒を入れるくらいなんともないかぁ!」と理解してもらえるのではないかと考えてみたのだ。